ランス REIMS
観光の見所紹介


ジャンヌダルク像と大聖堂。勇壮な姿を見る事ができる。
フランスの王様はここで儀式を執り行わないと王様とは認められませんでした。 フランスに数ある大聖堂の中でも最も歴史があり、威厳を放つ「王の都」 それがランスです。

パリの東北東142kmに位置するランス。
なんと言ってもこの街を有名にしているのは「王の街」の名の由来となる世界遺産のランス大聖堂です。ルイ1世が初めて戴冠式を行って以来、フィリップ2世からシャルル10世まで、フランス国王はほとんどこのランスで戴冠式を行いました。
有名なルイ13世、ルイ14世、ルイ16世、ジャンヌ・ダルクも、皆この大聖堂を訪れて式に参列しています。
かつて全ての王様がここに来て式を行ったのだという、歴史に思いをはせることができるのがこの大聖堂の魅力です。

1914年、第一次世界大戦で空襲により大聖堂は激しく燃え、約半数のステンドグラスが失われました。
今では修復され、とても綺麗なステンドグラスを見ることができます。
中にはシャガールのステンドグラスがあります。
内部はたくさんの式の参列者を入れるため広く作られ、明るい印象が特徴です。
大聖堂の前にはジャンヌ・ダルクの騎馬像が設置されています。


大聖堂は1210年に火災で焼失。今の大聖堂は13世紀に完成しました。


細かな彫刻が美しい大聖堂です。


中はステンドグラスが美しく、威厳に満ちています。






ランスの地図 写真クリックで拡大します


地図の左側、かなり広大な面積を占める緑地はランス駅です。
ランス駅の一番右端にトイレがあります。
緑地の中央にある「i」の赤い文字はinformation center 観光案内所です。
同じく地図のほぼ中央に観光案内所のマークが見えると思います。
ここに大聖堂があります。大聖堂の南側の道に、わかりにくいですが無料のトイレがあります。
駅から大聖堂に向かうひときわ大きな道、drouet d'Edrlon は冬にはクリスマス市で綺麗です。

地図の各所にTの文字が見られます。
これはトラム(路面電車)の停車駅を示しています。
トラムは駅まで通っているので、道に迷っても、トラムの線路が見つかれば迷わず駅までたどり着けます。
大聖堂を中心として、トラムの駅がつらなるエリアが街の中心地です。
大聖堂から右下の方向にrue gambettaという通りがあります。
これを南にたどっていくと、サン・レミバジリカ聖堂という教会があり、こちらも世界遺産で綺麗な教会です。



ノートルダム大聖堂








ジャンヌ・ダルクの像



ジャンヌ・ダルクがランスをより一層有名にしています。
元々ジャンヌ・ダルクはランスとは関係ない人なのですが、当時イギリスとの100年戦争の最中、敗色濃厚なフランスを破竹の勝利に導き、シャルル7世と共にこのランスで戴冠式を行って見事、フランスを勝利に導いたという事で歴史に残っています。


100年戦争とジャンヌ・ダルク

ジャンヌ・ダルクのお話をさらっとします。
ジャンヌ・ダルクは1412年頃、ドンレミという街に生まれた字も読めないような普通の農家の娘でした。
12歳の時、大天使ミシェル、聖カトリーヌ、聖マルグリットの姿を見て、
「イングランド軍を駆逐して王太子をランスへと連れて行きフランス王位に就かしめよ」という声を聴いたそうです。
その神のお告げに従い、ジャンヌは旅立つことを決心。
そしてシャルル7世に会い、見事王を説き伏せ、軍を指揮することとなります。
当時のフランスはイギリスに数十年間勝利を挙げておらず、黒死病で人口も減り、イギリスがほぼフランス全土を手中に収めようとしていた、フランスは壊滅間近という時期でした。
一致団結してイギリスと戦わなければならないのに、国政は養育権や執政をめぐる内輪もめ状態。
当時のシャルル7世も名ばかりの王様となっていました。
そんな中ジャンヌに一筋の光明を見た王は、ジャンヌに軍を任せることを決心します。
そして軍は破竹の勢いで勝利を重ねました。
その後フランスの大部分を見事奪還、そしてシャルル7世を連れ立って、ジャンヌ・ダルクはこのランスへ赴き、戴冠式を行い、フランスを平和に導いたという話です。

ランスの大聖堂ではそういう歴史に思いを馳せ、フランス革命で有名なルイ16世もここに来た、ジャンヌ・ダルクもここに来たと想像できることが楽しいところです。
しかし、ジャンヌ・ダルクは「聖人」として宗教と結びついてしまったために、人間性が見えにくくなり、謎の多い人物となっています。

・そもそもジャンヌ・ダルクは本当に神を見たのだろうか?自分の野心のために神様の話を作り上げたのではないだろうか?
・そもそもなぜ王に会えた?ドラクエじゃないんだから農民風情が簡単に王に会えないでしょう?
・王はなぜただの農民の女のジャンヌ・ダルクを信じたのか?なぜ軍を任せたのか?
・ジャンヌ・ダルクは本当に軍を率いたのか?指揮官としての能力はどうだったのか?
・ブルゴーニュ軍がジャンヌ・ダルクを捉えたとき、なぜシャルル7世は身代金を払わなかったのか?お金さえ払えばジャンヌは解放されたはずである。
結果としてジャンヌはイギリスに売られ、火あぶりとなる。シャルル7世の見殺しの行為はまるで「お前はもう用済みだからいらない。」とでも言いたげな、まさに死刑宣告だった。恩あるはずのジャンヌになぜこのようなことをしたのか?


聖人として神格化されてしまう前のジャンヌ・ダルクやシャルル7世の人間性を見つめると、歴史に書かれない部分が見えてくるようで面白いものです。
 


ジャンヌ・ダルク像とランスの大聖堂




大聖堂内部はステンドグラスで美しい




大気汚染により大聖堂は薄汚れている。今、これを白くするための掃除の真っ最中。




細かな彫刻が美しい














内部は広く荘厳




ランスは人口21万5000人。
中世には羊毛工業が栄えました。
現在は航空機、自動車部品、食品加工などがさかんです。
またランスはシャンパーニュ地方の商工業の中心地です。
シャンパーニュ地方の名が示すとおり、ここで作られた炭酸入りワインのみがシャンパンを名乗ることが許されます。(他の地方の物はスパークリングワイン、クレモンなどと呼ばれます。)
レストランで頼むと一杯で20€近くもすることのあるシャンパンですが、本場でぜひ一度味わってみてください。
 








右が掃除が終わった部分。ご覧の通り真っ白になる。
右はこれから掃除をする部分。真っ黒である。


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