まず目を引くのがサン・テティエンヌ大聖堂。
フランス北東部、モーゼル県の県都、人口は12万3700人ほどです。 パリの真東、ストラスブールの真西、そしてナンシーからは58キロほど真北に位置します。 なんと言ってもまず目を引くのがサン・テティエンヌ大聖堂。 高さ42メートル、13世紀から16世紀にかけて建築されたゴシック建築の傑作です。 使っているのはジョーモンというメッスの建築物によく使われる石です。 中は壮大なステンドグラスで覆われ、非常に明るい印象です。 ステンドグラスの総面積は6500m2にもなり、13世紀の物から20世紀のシャガールのステンドグラスまでが勢ぞろいしています。 大聖堂の入り口には、メッス初代司教の聖マルタンが怪物をにらみつけている彫刻があります。 |
サン・テティエンヌ大聖堂。見にくいが、小さな柱とアーチが横から支えることによって、聖堂は崩れにくい作りになっている。
大聖堂は彫像がとても綺麗
メッスの地図 写真クリックで拡大します。
メッスの街の発音なのですが、フランス人はメッツと発音します。 しかし日本ではメッスかメスと表記することになっています。 ローマ帝国は紀元前一世紀にはすでにこのメッス周辺にまで勢力を伸ばしました。 ローマ人は水を引くための水道管や浴場など様々な文化をメッスに伝えました。 クールドール博物館ではメッスの古来ガリア・ローマ時代の浴場や墓碑を見ることが出来ます。 その後メロビング朝時代(481-751)には、メッスはアウストラシアの中心地として大いに栄えます。 メッスの西には4世紀末に建てられたフランス最古の教会、サン・ピエール・オ・ノナン教会があります。 (Eglise saint pierre aux nonnains) その後、中世は街全体が城壁に囲まれ、その名残のドイツ人の門を街の東に見ることができます。 その後、イタリア人を中心とした外国商人たちで賑わう時代が訪れます。 街の南のサン・ルイ広場ではイタリア商人が両替商として活躍し、その時代にテーブル代わりに用いられた石のベンチを今でも見ることができます。 フランス語でベンチはバンと言いますが、そこから転じてバンク(銀行)と言う言葉が生まれたそうです。 12月にはこの広場がクリスマスマーケットで賑わいます。 その後、普仏戦争(1871年)にフランスが敗れた後、メッスは50年間ドイツ領となります。 |
内部は華やかなステンドグラス
メッスは名産の食べ物はあまりありません。 しいて言えば、ミラベルという果物が有名です。ジャムや飴が売っているのでお土産に最適です。 それからキッシュ・ロレーヌというキッシュがあります。 レストランでは食べられません。パン屋さんやカフェなどで味わうことができます。 街の東にはドイツ人の門があるのですが、割と普通の建物で、それを見た後の観光のコースは同じ道を戻ることになるのであまりオススメできません。時間があればという感じです。 上に地図を用意しました。 WCと書いてあるのがトイレです。よく見ると街の数箇所にあります。 一番便利なのは大聖堂の裏手にある公衆トイレです。無料です。 地図で赤線で囲まれた範囲が街の中心です。 数字の9番が銀行の由来となったベンチのあるサン・ルイ広場です。 そこから真東に行くと、レピュブリック広場(place de la republique)があり、割と賑やかです。 2010年、ポンピドゥー・センターの分館がメッスにできました。 日本人建築家板茂とフランス人建築家Jean de Gastines及びイギリス人建築家Philip Gumuchdjianのグループが建設を手掛けました。 バス(というかワゴン車)で行かなければならないのですが、多少乗り場がわかりにくくなっています。 大聖堂前の広場から右(西)に若干進んだ位置が乗り場になっています。 大聖堂のすぐお隣、地図上の数字の19番が市場になっています。時間つぶしには最適です。 |
小話ですが、 メッスにもある大聖堂ですが、大聖堂は大司教の椅子のある教会というのを意味するらしいです。 なので、必ずしも大きいわけではなく、小さな大聖堂というのも存在するそうです。 そして、この大聖堂はゴシック様式という華やかな見た目をしています。 ゴシックとは元は「ゴート族の」、とか「野蛮な」、という意味の蔑称で用いられた言葉だそうです。 横にアーチ状の支えを作ることによって崩れにくい教会が完成し、それによって以前より柱を細く、そして窓を大きく取ることが可能となりました。これがステンドグラスを発展させました。 |